INTERVIEW富名哲也監督・畠中美奈プロデューサー インタビュー
―『わたくしどもは。』の世界観を作るまでの経緯を教えてください。
富名「私とプロデューサーで妻の畠中は、2017年に初長編作『ブルー・ウインド・ブローズ』を新潟県佐渡島で撮影しました。佐渡金山はその撮影後に初めて訪れたのですが、傍にひっそり佇む無宿人の墓から無宿人という存在を知り、この映画がスタートした気がします。何かしらの理由で戸籍を奪われた無宿人たちは、江戸時代に内地から佐渡に連れてこられ鉱山での過酷な労働の中、その多くは数年で亡くなってしまったそうです。直接的に彼等のことを描かないにしても、インスピレーションはそこで湧いたのです」
― 映画の冒頭、ミドリ(小松菜奈)とアオ(松田龍平)の心中を匂わすエピソードが登場するのも、歴史からの引用ですか?
富名「相川地区に伝わる相川音頭は、幕末の天保の改革で禁じられるまでは、心中口説き節だったことは知られています。近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天の網島」などが大阪で上演されて、関西で男女心中が流行り、それから佐渡でも心中事件が流行ったといいます。当時、心中は重罪でした。為政者としては後追いを断つために、ときには心中した者を野ざらしにして墓を作らせなかったりしたそうです。そういった背景が何かしら物語に影響したのではと思います。主人公の二人は何らかの理由で現世では結ばれることが出来なかったという設定で、その後、登場するムラサキ(石橋静河)はアオのかつてのパートナーという人物設定にしています。佐渡の歴史的背景の影響もありますが、何よりこの映画のストーリーに関係しているのは、私たち夫婦のことなのかもしれません。私と畠中は、プライベートでも仕事でもいつも時間を共にしています。ロケハンの移動中などで、死んだらまた一緒になるのか、死ぬなら一緒のタイミングが良いなど、たわいも無い会話をよくすることがあって、そのことが何よりダイレクトな影響を与えているのだと思います」
― 金山の施設内でミドリは目覚めますが、彼女を助けるキイ(大竹しのぶ)ほか、館長(田中泯)のいる当地の世界観はどういう設定になっているのでしょうか?
富名「過去の記憶が無い人たち、名前の無い人たちに関しては、死んでから成仏するまでの49日間の時間軸に漂っている人としています。その意味で、本作の主題は“生まれ変わり”。映画に度々登場する佐渡金山の頂上がV字に削られた〈道遊の割戸〉をあの世とこの世を結ぶ通り道として見立てています。その期間を過ぎても留まり彷徨っている魂たちもいます。
ただ、私の方で定めた設定はありますが、観客の方に自由に解釈してもらえればと思っています。というのも、小松さんにも、松田さんにも細かな設定をお伝えしていません。物語のキャラクターを演じてもらうというより、ふたりがただそこにいるという存在を映像に刻印したいというのがありました。そのことは撮影前におふたりにはお伝えしました」
― ミドリ、アオ、キイといった名前は前作にもありましたが、本作での片岡千之助さんが演じる向田透と、その母(内田也哉子)にはいわゆる普通の名前があります。どういう違いがあるのでしょうか?
富名「向田透とその母は実際に生きている人で、透はろう者の母を持つコーダなので手話が使えます。登下校で、透を虐めている他校の学生たちはろう者になります。アオには透が見えていますが、透にはアオは見えていません。ちなみに、色の無い透と名付けたのも彼が生きているゆえです」
― 富名監督が2013年に発表した短編『終点、お化け煙突まえ。』は岸井ゆきのさん演じる女子高生が、卒業式からの帰宅中のバスであの世へとアクセスする話でしたし、『ブルー・ウインド・ブローズ』でもアオという少年とバケモノとの邂逅を題材としていました。死者と生者が継ぎ目なく交わる世界観は富名作品の特色だと思いますが、発想はどこからきていますか?
富名「父親が2歳の時に亡くなっていたことが大きいかと思います。物心がつく前から、母親がいつも仏壇に手を合わせていて、私も母の見様見真似で仏壇に何かの折によく手を合わせていました。肉体としてはいないけれど、意識のなかで父はすぐ側にいると感じて過ごしてきたので、見えないものに対する距離感が自分の作る物語の特色になっていると思います。何かを狙って作っているというより、自然とそういう話になってしまっているという。畠中からは、次は違うタイプの話にしてみないかと言われているのですが(笑)」
― 劇中、ミドリの台詞回しが独特です。狙いを教えて下さい。
富名「小松さんの過去の作品を見たときに感じた魅力は、彼女の持つ自分らしさや現代性でした。ですが、本作においては、小松さんの持つナチュラルさや現実感を逆に抑制したいと考えました。そこで、「わたし」ではなく、「わたくし」とあえて丁寧な言葉をミドリに使わせ、枷を課すことにしました。小松さんも、撮影に入る直前に変更したのでとても困惑され、この言い回しは不自然ではないでしょうかと事前の相談もあったのですが、ミドリは記憶のない設定にしているので、現実の生活の匂いを出さなくて良いからと、あえてその不自然さを受け入れてもらった次第です。あえて動きを封じる演出をしています。肉体はそこにあるけれど、それは器に過ぎず、どこか空っぽであるという姿が欲しかったので、凄くやりづらかった部分も沢山あったのではないかと思います。本作は私たち夫婦がインディペンデントで製作した映画なのですが、予算的制限がある中で出来る限りのチャレンジはしたつもりでいます。
一方、爛れた男役の森山開次さんの動きは、脚本に書いた『足を引き摺って』という以外の注文はつけておらず、そこからご自身の考えであのような動きになっています。また、向田透役の片岡千之助さんも『赤襦袢で踊る』の一文から、ご自身であの踊りを組み立てられています」
― 映像美が際立つ構成ですが、画面サイズの意図と、登場人物の横顔のフォーカスを多用した理由を教えて下さい。
富名「見せすぎない、必要のない情報を入れないようにスタンダードサイズにしたというのが根本にあります。また、登場人物が小さな世界に閉じ込められているという感じを出したいという狙いもありました。登場人物の表情のフォーカスが多いのは、スタンダードということも関係しているかもしれませんが、撮影しているときにはあまり意識していませんでした。おそらく、今回出ていただいた俳優の顔から滲み出てくるパワーに引き寄せられたのかと。小松さんにしろ、松田さんにしろ、自ずとカメラが寄っていきました」
― 次回作の構想は?
富名「コロナ禍で東京から新潟市に移住しました。次は島を一旦離れ、新潟県の本土側で、土地の風土を取り込んだ物語を書いています。実現に向けて動き始めようと畠中と話しています」
― キャストの決め手を教えて下さい。
畠中「非現実的な世界を描いた物語ですので、それに説得性を持たせることが出来るキャストは誰なのかを考えました。主人公は何かしらの理由で心中をする男女の設定ですので、小松菜奈さんと松田龍平さんの持つ神秘的な空気感がこの作品の世界観に必要だと思いました。小松さんの個性が光る透明感のある美しさに、松田さんの独特な佇まい。ただ二人が並んで立つだけでもそこに何かが生まれるのではないかと。このお二人以外は考えられませんでした。年配の清掃員キイ役は、大竹しのぶさんの存在感を持ってすれば、この不思議な話でも観客は違和感なく受け入れてくれると思いました。劇中後半の長セリフで演じたシーンは圧巻です。
内田也哉子さんと森山開次さんは、前作に続き出演して頂きました。
田中泯さん、森山開次さん、石橋静河さん、片岡千之助さんという踊れる人を起用したのは、今回のプロットの時系列が入り組んでいて、言葉では説明できない要素が多く、演者の身体性に頼りたいということから。千之助さんは本業が歌舞伎役者で、舞台を映画撮影のために休むのは難しいだろうと思いながらのオファーでしたが、御本人が祖父の片岡仁左衛門さんに談判され、ご出演が叶いました。
もうひとり、重要な登場人物が能楽師の辰巳満次郎さん。佐渡ヶ島は歴史的にも能が盛んで、全国の能舞台の約三分の一が現存しています。富名と薪能などを何度か拝見する中で、自然と重要な登場人物としての能役者の存在が浮かびました。ご本人とやりとりを重ね、能面は江戸初期の逸品の泣増(なきぞう)をお願いし、古典的な能の組み合わせに捉われることなく自由に表現して頂きました」
― 富名監督とは公私ともにパートナーですが、作家としての強みはなんだととらえていますか?
畠中「これしかないという画(え)を持ってくるところです。画を切り取る力には感心します。撮影現場で予想外の要素が生じても、このシーンはこう撮るという決め手を掴むのが早い。どんな状況にも順応する柔軟な一面を持っていることが、富名の強みなのかもしれません。また、プロデューサーとしてはもっと大きな予算で撮らせたいですね」